映画『閃光のハサウェイ キルケイの魔女』の公開を前に、第1部を見返しているうちに原作が気になり、小説版を購入して読んでみた。
映画の方を初見で楽しみたいので、第2部は未読である。
原作を読んでみて、映画版との違いをいくつか感じた。

結論から言えば、映画版は「かっこよさ」、原作小説は「おもしろさ」が強い。
この記事では、原作と映画の細かな違いを網羅するのではなく、人物描写や作品の構成などの違いの説明とその感想を書く。
ハサウェイの描写:映画では「男性性」が削られている
映画版ではハサウェイの男性的な側面を感じさせるシーンなどをことごとくカットしている、性欲由来の行動や発言はわざわざ出さないようにしているのだろう。
小説版では、ギギに対して、「きれいだな。本当に……」と口にしている。
また、ホテルで空襲にあった翌朝の軍施設でのケネス、ギギとの食事では、ケネスがギギに、今夜寝てくれるよな?と誘っているシーンがある。
それに対して、「大佐、それはいいすぎだな、僕だって、そう思っているかもしれない」と露骨に張り合っている。
また、その直後にも、ギギに対して、キミのこと気になるもの、と返答している。
読んでいて意外とそういうこと言うんだなと感じたくらいだ。
加えて、ガンダムの空中受領の前あたりのシーンで、ミヘッシャの頬にキスをしていたのにも驚いた。
映画版では、そういうところをカットしているため、ハサウェイの人間的な部分が薄くなっており、超人的でストイックな感じ(まあ、鬱にも見えるが)を醸し出している。
私が小説版を読んでいるときには、そういう映画での対比と実際のハサウェイの性格を知れて非常に面白かった。
ギギの描写:映画ではよりミステリアスに
映画版では全体的にギギはよりミステリアスでどこか超人的であるかのように描写されている。
たとえば、ハウンゼンでカボチャ男に詮索される場面。
映画では、タッチパネルを操作しながら、マフ ティーナビユ エリンの名前について、物おじせずに語っている。
しかし、小説版ではそこまで踏み込んだ態度を見せない。
ただ、なぜ若いのにハウンゼンに乗れたのか聞かれて、コネがあるから、と答えただけである。
また、ハサウェイがハイジャック犯に反撃するきっかけになった言葉、「やっちゃいなよ、そんな偽物なんか」というセリフがある。
その前にハサウェイの頭の中に声が響くニュータイプ演出のようなものがあったが、小説内ではそのような演出はされておらず、ただ、淡々とセリフが発せられるだけだ。
また、ギギも小説版の方が感情過多に描かれている印象を受けた。
小説版ではハサウェイにホテルで裸を見られて、そういう女嫌いだと言われた時も、部屋に引きこもって泣いているような声で返事をしたというような描写がされている。
読んでいるときには、こういう風に少し人に否定されただけで心を痛めるうぶな少女の一面もあるのかと感じた。
しかし、映画版では、あまり泣いているような演技には感じなかった。(まあ、自分にその演技の力を感じる力がなかったのかもしれない)
映画版で一つ引っかかったのは、タサダイホテルが空襲を受け逃げ惑う際に、ギギがかばんを落として焼失しまうシーンである。
そこでは、ギギは名残惜しそうにバッグを拾おうとする。しかし、小説版ではずっとモビルスーツが出す音や爆撃音、人が巻き込まれていることに恐怖してほとんどずっと泣いているような感じである。
そこから見ると、そんな恐怖に駆られているときにかばんのことをそんなに気にする余裕はない気がする。
たしかに、かばんの中に今までの思い出のものなどが入っていたのかもしれないが、私が初見でみたときは、こんな状況ながらブランド物のバッグに固執するのかとやや安っぽい印象を受けた。その点は少しギギの株を落とすように見える演出に感じてしまった。
ケネスの描写:小説版の方が思想が見える
ケネスは、小説版のほうでは結構、マフティーに共感しているのが意外だった。
心の中で『好きに生きていられれば、俺だって、マフティーの仲間になっていたな…。。』という思いを抱いている節がある、
また、カマをかけているのかもしれないが、ハサウェイに、俺と一緒にマフティーに入るか?などと冗談めかして発言しているシーンもある。
映画版では、記憶のある限りハイジャック後に空港についてから、このハイジャック犯どもは、マフティーのような清廉さがない、と語る以外にマフティーを肯定するようなものはあまりなかった気がする。
ケネスに関しては私は小説版の方が好きだ。
まあ、部下に対してずっと怒鳴っているのは少し苦手だが。
クワック サルヴァー:映画では説明なし
映画だけを見ていると、クワック・サルヴァーが何者なのかわからないのではないだろうか。
映画では、ほぼ説明なしだから当然である。
小説版では、連合軍の将軍でありながら、マフティーの影の支援者であり、主に基地や兵器などを手配しているな正体不明の謎の人物という説明がある。
マフティーの基地なども、もともとは昔に使用していた連合軍の基地であったが、そのデータを抹消して、見つからずに使えるようにしたのも彼である。
指導者としてはハサウェイが最も位が高いだろうが、それと同じかそれ以上に重要な人物がいるとは驚いた。
映画では2部キルケーの魔女で説明があるのかな?
セリフの違い:削減が生んだ「かっこよさ」
映画版ではやっぱり尺の都合上多くのセリフや場面がカットされている。
そのため、ガンダムの空中受領など、初見では何をしたいのか分かりにくい場面もある
また、1部のセリフは意味がとりにくくなっている部分もある。
しかし、これによって、よりセリフが簡潔になったり、頭がいいというか、ニュータイプ同士の会話のめいた雰囲気が強まり、結果的にとてもカッコよく感じられる。
緊張感:小説版の方が強い
物語の全体的な緊張感は小説版の方が強いと感じた。
それは、小説版では、ギギの取り調べ中にマフティーがハサウェイだということを話してしまわないだろうかという焦りや、ガウマン捕獲後のベースジャバー下でのやり取り、ガウマンがハサウェイがまだ軍施設にいるうちに自白してしまうかもしれない、というハサウェイの焦りが描写されているからだろう。
また、映画版ではカットされたケネスとの「お前、まるでマフティーだな」という会話なども大きく緊張感を生んでいる。
場面変更:「映え」のための変更
映画版では、映像的な映えを重視して、場面が変更されている箇所も多い。
ホテルのプールでの、「君が元気になってうれしいのさ」などの会話は小説版では、取り調べを受けていた空港で行われている。
また、ガウマンが乗るメッサー2がビームサーベルで貫かれて火花をちらせるというのも小説版では存在しない。追い詰められたメッサー2が片手をあげて降伏するだけである。
どちらのシーンも映像的に印象的なシーンである。やっぱりこういう「見せるための」改変ができるっていうのはすごいと感じた。
戦闘シーン:ロジックと映像美
戦闘シーンはどちらも非常におもしろい。
小説版では、戦闘の際の行動の理由や戦術の解説、心理描写などが行われているため、ロジックとして楽しめる。
映画版はいわずもがな、圧倒的な映像美。最高である。
私は、『seed freedom』や『GQuuuuuuX』などの作画よりも、ハサウェイやユニコーンなどのリアリスティックなものの方が好みであるため、こういう作画でやってくれるのはありがたい。
アニメオリジナルのセリフ
映画版で印象的なセリフの一部は、実際には小説版では存在しなかったり、変更されていたりする。
予告にも使われていた、
「ガンダムだと!」
「身構えていると気に死神は来ないものだハサウェイ」
といったセリフは、小説版では似たようなセリフや、地の文でしか存在しておらず、また、後者のセリフではアムロが脳内で語りかけているという描写もない。
また、例えば
「僕は変わるよ、変えてみせるよ。マフティー ナビユ エリンに」
はそもそも存在していない。
こんなかっこいいセリフを追加してくれたアニオリに感謝、かっこよすぎる。
まとめ
映画は全体的にみんなミステリアスでより超人的に描かれているような感じがする。さらに、映像的な強さを優先して場面やセリフが再構成されている点も、あわさってかっこよさが増している。
一方、小説版では、より感情が前面に出ていて、人間味を感じる。その分より深くキャラを好きになれる気がする。
戦闘シーンなどは映画版では言わずもがな圧巻であるが、小説版ではその分、ロジックや心理などが明確に描写されている分、こちらもおもしろい。
映画版が好きな人はぜひ原作も読んでいただきたい。映画では理解しきれなかったセリフの意味が理解できるように詳しく書いてあるし、そもそも映画では存在しなかったセリフやシーンも数多く楽しめる。
また、映画では描ききれなかった登場人物の心情が丁寧に描写されているのも大きな魅力だ。
私のおすすめは、まず映画を見てから原作を読むことである。
そうすることで、初見であの映像美を存分に味わうことができるし、登場人物の姿をイメージしやすくなる。
その後に原作で、映画では理解しきれなかった難解なセリフやストーリを補完でき、新たな発見を見つける楽しさも味わうことができる。

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